前橋商工会議所の沿革

前橋商工会議所の沿革

前橋商工会議所の沿革

前橋商議会は、日清戦争の翌明治29年に前橋市内の商工会の有志が集まって結成したものである。当時の前橋市は、製糸業を中心産業として、逐年発展し同業者も増加し、経営規模も拡張され、商域も広くなり、したがって業務の形態も多様化していた。こうした商工界の発展によって前橋の人口は、31,000を擁することとなり、明治25年に市制が施行され、群馬県最初の市が誕生していた。すでに他県の有力都市には、明治初年の大阪商法会議所を始めとして、続々と会議所が設立されており、そうした諸情勢を背景にして前橋市にも会議所の機運が成熟していたのであった。

前橋商業会議所時代(明治31年~昭和2年)

明治31年1月22日商業会議所条例によって前橋商業会議所は創立された。
なお商業会議所条例によれば、商業者は「商法第4条に掲げる商取引の各部類に属する商人及び作業人を言ふ」と規定されており、会議所設立手続きについては、「農商務大臣の認可を受け、市町村の区域によって設立する」と定めてあり、その人格を「法人」とした。
その事務権限については、商業の発達を図り、若しくはその衰運を防ぐ必要な方案を議定すること。商業に関する法律、規則の制定、改正、廃止及び施行方法、その他商業上の利害に関する意見を官庁に開申することなどが定めてあった。

前橋商業会旧前橋商工会議所時代(昭和3年~昭和18年)

昭和2年4月5日法律第49号をもって「商工会議所法」が公布され、同年12月勅令374号をもって同法の施行期日を昭和3年1月1日とされた。
この法律施行にともなって前橋商業会議所は、同年5月11日定款を改定し「前橋商工会議所」と改称、ここに組織と事業を拡大し、経済情勢の推移に即応してその機能を発揮する態勢を整えた。
昭和18年までの15年間、前橋商工会議所が前橋経済界の中心的機関として活躍することとなったのである。
この時代を振り返ってみると、昭和の商工経済界は、その初頭から未曾有の苦難の道であった。なかでも本市産業の中心であった製糸業の萎微は一般農家の経済苦境を招き、一般の購買力の減退を招く結果ともなった。ちなみに昭和8年をみると、世界的な経済恐慌で前橋の主要産物たる生糸は、アメリカ市場で大暴落し在庫量はおびただしい数量に達した。
こうした情勢下であっただけに会議所としては、これらの問題の解決に重点をおき、小売業の振興と商権擁護、さらにこれらと並行して蚕糸業対策とに集中的な活動を展開したのである。

群馬県商工経済会時代(昭和18年~昭和21年)

昭和18年3月11日法律第52号によって「商工経済会法」が施行された。その目的とするところは、「国民経済の総力を最も有効に発揮せしめるため、国策に協力し産業経済の円滑な連絡を図るとともにその改善向上に努めること」と規定されていた。
従来地域別に設立されていた商工会議所は、全県一つの経済会に統合され、主務大臣の命令によって設立された。会員は業者の強制加入に改められ、役員は官僚の任命許可制度とし、完全なる官僚統制組織の経済会となったのである。当商工会議所は、同法に基づいて9月17日付で商工大臣から設立を認可され、続いて10月10日前橋商工会議所の解散式を行った。
ここに誕生した「群馬県商工経済会」は、定款によって前橋市内に本部をおき、さらに前橋、高崎、桐生、伊勢崎に各支部をおき、太田、館林、沼田、中之条にはそれぞれ出張所をもつ群馬県下一円の組織であった。

新前橋商工会議所時代(昭和21年~)

昭和20年8月15日、かつて我が国が経験したことのない敗戦によって、戦時体制下の商工経済会法は廃止された。代わって誕生したのが、「社団法人前橋商工会議所」である。そして昭和25年5月31日、商工会議所法が法律第215号をもって公布され、組織変更の期限である11月30日までに、この法律による商工会議所が全国にできた。
この法律によると、
商工業の改善発達を促進し、あわせて社会一般の福祉の増進に資するために商工業者又は商工業の改善発達に寄与しようとする者等の組織する商工会議所について定め、その健全で、且つ、民主的な発達を図ることを目的とする。
と、その目的を規定しているが、この法律では、財政的問題に触れておらず任意の会員組織でありながら公益事業を行う会議所としては、その裏付けのないために十分なる活動をしえない欠陥があったことは事実であった。
こうした事情もあって、昭和28年8月1日法律第143号をもって、新たに商工会議所法が制定され、10月1日施行となった。ここに昭和25年制定の旧商工会議所法は、28年10月1日廃止された。

新商工会議所法の特徴は、
1.商工会議所を特殊法人とし、その公益性、特に地域的総合経済団体としての性格をはっきりさせたこと。
2.会議所の構成において、会員制度に議員制度を加え、折衷的組織としたこと。

このことによって、従来の民法による社団法人とは根本的に異なるところとなった。構成面において任意に加入脱退できる会員が、会議所の意思決定機関である議員総会を構成する議員の選挙権を有することによって会員として意見を反映し、一方において議員制度の長所を取り入れ、一定規模以上の商工業者は、会員でなくとも、これを特定商工業者として議員の選挙権を有することにより広く地域内商工業者の全般の利益を図る体制が確立された。ここに会員のみの利益擁護機関ではない公共的な性格を帯びたものとなった。この法律が、現行商工会議所における根拠法令である。
この法律の施行とともに昭和28年9月30日政令315号をもって「商工会議所法施行令」が、また通産省令52号をもって10月1日「商工会議所法施行規則」がそれぞれ制定公布された。
この法律の施行にともない当会議所は慎重に準備を進め、昭和29年12月8日会員総会の決議により、定款の変更、役員の任期変更等の臨時措置を定め、認可申請の手続きをとった。その結果同年12月21日認可の指令を受け、ここに新しい「前橋商工会議所」が発足することとなったのである。

歴代会頭

第一代 江原 芳平 自 明治31年4月 至 明治38年

第二代 藤井 新兵衛 自 明治38年5月 至 大正11年12月

第三代 江原 桂三郎 自 大正11年12月 至 昭和4年6月

第四代 竹内 清次郎 自 昭和4年7月 至 昭和5年6月

第五代 高橋 源之助 自 昭和5年6月 至 昭和8年4月

第六代 勝山 益太郎 自 昭和8年4月 至 昭和12年4月

第七代 鈴木 愛三 自 昭和12年4月 至 昭和16年4月

第八代 片倉 久登 自 昭和16年4月 至 昭和18年10月 自 昭和21年11月 至 昭和34年5月

第九代 伊藤 正直 自 昭和34年5月 至 昭和38年4月

第十代 廣田 専之助 自 昭和38年5月 至 昭和40年5月

第十一代 佐田 一郎 自 昭和40年5月 至 平成3年9月

第十二代 金子 才十郎 自 平成3年9月 至 平成16年10月

第十三代 曽我 孝之 自 平成16年11月 至 令和4年10月

第十四代 金子 昌彦 自 令和4年11月